二次創作物ですのでご注意下さい。
ヒ/カ/ル/の/碁/小説
カップリングは、ア/キ/ヒ/カ/子
恋愛要素あり
裏要素なし

上記の内容でも問題が無い方はご覧下さい。







雨と嘘と傘。



 駅を出ようとしたら、急に土砂降りの雨が降り出した。
 ヒカルは鞄から折りたたみの傘を取り出す。朝、母親に無理やり持たされた物だった。

(持って来て良かった……)

 ヒカルはしみじみと思った。


 今日はイベントの仕事があった為に、ヒカルはスーツ姿だった。
 「女性らしい服」など、日頃進んで着たりはしない。仕事だから、渋々なのだ。

 その手の服を喜んで買い揃えたりしないヒカルにとっては、数少ないスーツを大切に着こなし、無駄に買わずに済ませたいと言う思いがある。だから汚さないように、皺にならないようにと、普段なら気にもしないような細かいところにまで気を配っているのだ。

 荷物になるから持って行きたくないと渋ったくせに、今手元に傘があることがとても嬉しかった。

 ヒカルが傘を開こうとした時、一人の女性が、困った顔で立ち尽くしている姿が目に入って来た。
 その女性は、大きなお腹をしている。はっきりそれと分かる妊婦のシルエット。

 ヒカルは動きを止め、その女性を見つめた。

 空を見上げ、止みそうもない雨に溜息を吐いている。
 お腹に子がいれば尚更、雨に打たれて身体を冷やして良いはずが無い。

 ヒカルは立ち尽くしている妊婦の方へゆっくりと歩み寄った。


「あの、この傘使ってください」


 そっと折りたたみの傘を差し出す。
 妊婦は突然声をかけられて驚いたように振り返り、それからヒカルの申し出に、更に目を丸くする。

 ヒカルはニッコリと笑って見せた。そして妊婦の横に並んで立ち、先まで彼女が見ていたように、空を見上げた。

「この様子だと、きっと当分は止まないでしょう。ここに立っているのも、辛いんじゃないですか?」

 指導碁やイベントの仕事でなんとか身につけた礼儀正しさで、ヒカルは妊婦に向き直る。

「この傘、使ってください」

 もう一度申し出ると、妊婦が困ったような表情をした。

「でも、それではあなたが……。これはあなたの傘でしょう?」
「あ、大丈夫なんです。連れがいるので、その傘に入れてもらいますから」

 ヒカルはなんとしても受け取って欲しくて、嘘を吐いた。そして「だから、どうぞ」と強引に傘を持たせる。
 妊婦は手に持たされた傘とヒカルを交互に見つめ、逡巡している。
 だから、ヒカルは悪戯っぽい笑みを浮かべて見せた。

「実は、その連れって言うのが付き合いだしたばっかりの彼氏で、照れちゃってなかなか近付けないんですよ。で、傘が無いって口実を作れば、相合傘ができるかなぁ〜って。だから、むしろこの傘が無くなってくれる方が助かるんです」

 妊婦が目をぱちくりさせた。そして、クスッと笑いを漏らし、「分かったわ」と微笑んだ。その笑顔にヒカルは頷いてみせる。

「えっと、これをお返しするにはどうすれば良いのかしら?それからお礼もしたいし……」

 小首を傾げて尋ねてくる妊婦に、ヒカルは「返してくれなくて良いです。貰って下さい。大した傘じゃないから」と答え、ちょっと躊躇ってからもう一言、付け足す。

「お礼なんかいらないです。でも、そのかわり、元気な赤ちゃんを産んでくださいね」

 妊婦が目を見開いた。そしてそれから、輝くように微笑み、「ありがとう」と呟いた。
 ヒカルは「風邪を引いたら大変だから」と妊婦を急かした。それから傘をさして雨の中を一歩踏み出したその背に、「転ばないように気をつけてくださいね」と声をかけ、街の人ごみの中へと消えてゆくその姿を、そっと見守った。

「さて、オレも帰るか」

 妊婦の姿が見えなくなってから小さく呟いて、相変わらず土砂降りの雨を降らす雲を睨んだ。

(どんなに走ってもずぶぬれ決定だな。タクシー乗り場まで行くにしても結局かなり濡れるだろうし……)

 スーツをびちょ濡れにしたら間違いなく怒られるだろうけれど、まぁ、仕方ない。
 ヒカルは、せめてスーツ着用時にのみ使っている鞄が濡れないようにと抱きかかえる。
 そして水のカーテンと言っても良さそうな雨の中へと、飛び出そうとしたその時、スッとヒカルの前に見慣れた姿が現れ、大きな傘を差し出して来た。


*******


「先さっきの妊婦さんは知り合いの人じゃなかったの?」

 アキラがヒカルに訪ねてきた。
 ヒカルは、アキラがさす傘の下を歩きながら、「いや、知らない人だよ」と答えた。

「傘が無くて困っていたから、オレのをあげたんだ」

 アキラがまじまじと見つめてくる。

「なんだよ!オレらしくないって言いたいのか?」
「いや、そんな事ないよ」

 慌てるアキラの様子に、ヒカルは笑いを漏らした。

「分かってるよ。オレらしくないって事くらい。でも、オレ、妊婦さんは大事にしたいんだ。別にお人好しで傘をあげたんじゃねぇーんだよ。オレがそうしたかったからやっただけなんだ」

 ヒカルは言葉のトーンを落とした。
 そっと足元に視線を落として、間を空ける。横を歩くアキラが、何かを問いたそうにしている空気を感じながら、ヒカルは暫く沈黙し、ただ歩いた。


「お前さ、生まれ変わりって信じる?」


 沈黙の後、顔も上げずにそっとアキラに問いかける。

「生まれ変わり?」
「うん……」

 ヒカルが頷くと、アキラが沈黙した。
 ヒカルは顔を上げ、隣を歩くアキラの方を窺う。
 アキラは生真面に悩んでいる表情をしていた。

「信じるも何も、考えた事も無いなぁ……」

 難しい顔で、アキラが呟いた。そしてそれから、その視線をヒカルへと投げかけてくる。

「……君にはいるの?生まれ変わって来て欲しいと思う誰かが……」

 アキラの問いに、ヒカルは一瞬目を見開いてから、小さく苦笑した。

「……もしアイツが、もう一度この世に生を享けられたら、今度は幸せになって欲しいんだ。誰よりも愛されて、誰よりも自由に生きて欲しい。そう思うんだ。だから……。だから、妊婦さんを見ると、そのお腹にいるのがアイツの生まれ変わりかもしれないって思って、世話を焼きたくなるんだよ。元気に産んで、目一杯愛してあげて欲しい。大切に育ててあげて欲しいってね」

 「本当に生まれ変わりがあるのかは知らないけれど、そう願っちまうんだよ」と付け足して自嘲的な笑みを浮かべる。

「自分で産みたいとは思わないの?」

 ポツリとアキラが問いかけてきた。
 ヒカルは「う〜ん……」と唸った。

「初めはそう思っていたんだけどさ、でも、オレが子供を産んで、その子をアイツの生まれ変わりだって思っちゃったら、きっとその子が苦しむと思うんだ。いろんなことを押し付けてしまうと思う。囲碁とか、アイツのイメージとか……。新しく生まれてきた命に、過去のものを押し付けてはいけないんだと思う。その子には、その子が持って生まれたものがあって、それを大切にすべきなんだ」

 「だけど……」とヒカルは続けた。

「それが分かっていても、アイツの生まれ変わりかもしれないと思ってしまったら、オレはきっと押し付けちゃうんだと思う。だから、もしアイツが生まれ変わって来るのなら、オレの子ではなく、何も知らないお母さんのお腹に宿って欲しい。そして、まったく新しい命として、その人生を歩み出して欲しい。この世のどこかでオレの知らない誰かが、アイツを産んで愛してくれたら良いなって、思うんだ。他力本願だけど、でも、その方が良いんだと思う。オレじゃぁ想い入れが強すぎるから……」

 そこまで語ってから、ふと思いついて、ヒカルはアキラを見つめた。

「お前は?塔矢行洋の息子として生まれて、当たり前のように囲碁の世界に入ったように見えちゃうけど、どうだったんだ?辛かったりしたのか?」

 『生まれ変わり』とはちょっと違うのだが、今まで尋ねた事の無かった素朴な疑問を投げかけてみる。
 アキラはキョトンとしてから、柔らかい笑みを浮かべ、首を横に振った。

「辛くは無かったよ。それに、父は、囲碁を教えてはくれたけれど、プロになれと強要はしなかった。囲碁に関しては厳しかったけれど、それも僕をプロにする為ではなかったみたいだし……。結局僕自身が囲碁にのめりこんで、プロになろうって決めたんだ。まぁ、囲碁しか教えてもらえなかったと言えばそうなのだけれど、勝手に人生を決められたとは思っていないよ」

 アキラの答えに、ヒカルは「そっか」と微笑んだ。

「塔矢先生らしいな。……オレだったらどうだろう。プロに『なる』『ならない』は兎も角として、碁は教えちゃうだろうなぁ〜。その面白さを知って欲しいって言うのはあるよ。たださ、もしその子がオレが驚くような一手を放って、才能のようなものを見せたら、オレは『アイツの生まれ変わりかもしれない!!』って、必要以上の期待をして、圧力をかけちまうかもしれない。それが心配なんだよ……」

 しみじみ呟いてから、「ま、嫁に行けそうも無いオレが悩む事じゃないんだけどな」と笑って見せる。
 ふと、アキラの足が止まった。

「塔矢?」

 ヒカルも歩みを止め、俯いているアキラへと向き直る。

「もし……」
「え?」

 俯いたまま、アキラが言葉を発した。

「もし、いつか君が子供を持つことがあるなら、その子の父親は僕でありたい」

 ポツリと呟かれた言葉。でも、その言葉は、ヒカルを驚かせ、その思考回路を止めるのには、充分だった。

「……何、言ってんだよ……急に……」

 呆然と言葉を返すと、俯いていたアキラの顔がゆっくりと持ち上がり、ヒカルを見つめてくる。

「うん。急だと思う。急にこんな事を言われても、ピンと来ないだろうから……」

 穏やかな口調と表情。でも、その瞳は、真っ直ぐにヒカルを射抜いていた。

「だから、見定めて欲しいんだ。僕が君の夫に相応しいかどうか」

 ヒカルは二度三度と目を瞬しばたかせる。

「それって……その……、付き合えってコト?」
「そういう事になるのかな?」

 小首を傾げて悩む素振りを見せるアキラに、ヒカルは呆れた。

「ヘンな奴。プロポーズしてから『付き合って下さい』なんて……。普通、逆だろう?」

 苦笑して見せると、アキラが少しだけ眉を寄せた。

「でも、僕たちは恋人ではなかったけれど、ずっと向き合って来たじゃないか。昨日今日付き合いだした恋人よりは互いを分かり合っていると思う。だから、決して『軽い』なんて事は無いと思うけど?」

 呆れ顔のヒカルに「心外だ」とばかりに言葉を紡ぐアキラ。
 ヒカルは「まぁね……」とその言い分に納得してから、「お前らしいな」と笑った。

「で……。どうだろうか?」

 声のトーンを変えて、緊張の面差しでアキラがヒカルに答えを求めてくる。
 ヒカルは自分を見つめるアキラをまじまじと見つめ返し、それからそっと傘を持つアキラの手に触れた。

「……手、震えてるね」

 ヒカルの言葉に、アキラが自嘲的な笑みを浮かべた。

「緊張しているんだよ」
「あの『塔矢プロ』が?」
「そうだよ。なにしろ相手はあの『進藤プロ』だからね」

 アキラの返事に、ヒカルは声を立てて笑った。そして、触れていたアキラの手を、ぎゅっと握る。

「……嘘が本当になっちゃった」

 俯いて呟くと、アキラが「え……?何?」と問いかけてくる。

「なんでもない!」

 ヒカルはカッと熱ほてってしまった顔を上げ、「ほら、行こうぜ」とアキラを促した。

「え?進藤?」

 キョトンとしているアキラに、ニッコリと笑って見せると、驚いていた顔がやがて柔らかく綻んだ。
 そして二人は歩き出す。



 雨が降っても大丈夫。
 傘が無くても大丈夫。

 恋人と一緒に相合傘で帰るから……。


 いつの間にか雨は穏やかになっていたが、二人のシルエットは先刻よりも寄り添い合って、静かな住宅地へと消えて行った。





03.10.01
10.08.30ちょっと手直し